テゴを編む
大滝ジュンコ
今年の春は一瞬だった。雪が極端に少なかったせいで、山の芽吹きは例年より格段に早い。
山熊田ではいまだに山は財産という意識が非常に強くて、かつては山奥にゼンマイ小屋を作って寝泊まりし、山で茹でて干して揉んで作り上げ、ひと春ぶんを担いで下山したそうだ。今は家でゼンマイを干す。それが終わると田んぼ、そしてワラビの時期へと移る。
昨年より2週間ほど早くワラビ山が始まった。皆で維持管理する集落の共有林へ、1軒から一人だけ参加資格があり、組になってワラビを採りに行く慣習だ。山菜採りの必須アイテムは、一時的に収穫物を入れておく小さな「腰テゴ」という袋と、腰テゴがいっぱいになって重くなったら移す大きな「親テゴ」だ。親テゴを荷縄という太い丈夫な縄でバックパックのように収穫物を担いで山を下る。
昨年移住したKちゃんも仲間になって行くのだが、マニアック道具のテゴなど持っているわけもなく、今までうちの物を貸し出していた。人のものでは彼女も気を使うだろうしテゴ作りも好きそうだと思い、「自分の作ってみる?」と聞いてみると「作りたいです!」と即答だ。
早速私は、物置小屋からアンギン編みのウマ(編み台)と、断面が涙型で隅に穴が空いている棒「コモヅチ」という駒たちを引っ張り出した。必要な道具はそれだけで、材料は縄。指導は母ちゃん(義母)にお願いした。私も数年前に一つ二つ作ったけれど、断片的に忘れていて人に教えるには心許なく、復習したかった。
簡単に説明すると、織機とは違い、構造や仕組みが圧倒的に単純で、経糸を緯糸に絡めていくだけ。一目ずつ交差させていく手間はかかるけれど、編目が荒いものなら機をたてるよりも断然楽だ。日本最古の布の作り方というのも頷ける。
まずは編むための準備だ。欲しいテゴの幅に必要な長さの縄(アミフ)の両端を各々、コモヅチに巻くのだが、この巻き方が独特で忘れやすいから要注意。私もすっかり忘れていて、新鮮な気持ちで巻く。これが経糸になるのだが、機でいうところの綜絖(経糸を交互に交差させる仕掛け)の役目も担う。年季が入ってツヤツヤのコモヅチは重たいナラ材などで作ってあり、錘にもなる。必要な数のそれが巻けたら、ウマの背に等間隔にまたがせてぶら下げておく。
次に編みはじめ。背に沿うように緯糸となる縄を渡し、その上をコモヅチひと組ずつを交互に交差させていく。コモヅチの重さで、手を離しても自重で固定されてしっかり編めるという、先人の優れた知恵だ。そのまま端まで編んだら、新たな縄をウマの背に渡して、同じ繰り返し。これをひたすら続けていくと、端が輪になって幅が均一の筵状の1枚の布ができていくのだ。必要な長さまでコモヅチの行ったり来たりを続ける。
ひとえに縄といっても藁だけでなく、ガマやスゲなど様々な草や、シナノキ、ウリハダカエデなどの樹皮も利用する。アミフは長さが必要なので縄状でなくてはいけないけれど、緯糸は縄でなく素材のままでもいける。炭俵や米俵、筵には面の隙間を埋めて密にする必要があるから、素材がそのまま型だ。
ウマにぶら下がって揺れるコモヅチは交差させると隣同士でぶつかり合って、「ココン、カコン」と可愛らしい音を響かせる。山熊田のどの家にもウマとコモヅチはあって、それ自体も手作りだ。ウマは二股に分かれた枝二つ、その根本側の切り口にホゾを掘って脚にし、ウマの背にする太さ2寸、長さ2尺ほどの木の両端にホゾ穴を開けて刺し、楔で固定する。コモヅチには屋号の焼印や名の1文字が書かれていて所有者がわかるのだが、よく見ると、我が家以外のものも混ざっている。ひと昔前は数軒集まって、おしゃべりしながら作業したそうなのだが、その時に貸し借りして混ざってしまうらしい。名を記しても返却するわけでもなく、数が合えばいいか、という緩さがいい。うちのコモヅチも、どこかの家で役立っているのだろう。
一目一目、愛着を育みながら編まれていく縄が、徐々にテゴへと変化していく。これが彼女の山暮らしに寄り添う相棒になるのだ。そしていよいよデビューの日が来た。村の婆たちから「きれいだな、上手だ」と彼女の背中に括られたテゴは、まるで赤ちゃんのように愛でられている。継承して新たに生まれる。いいなあ。なんだかこういうの、すごく好きだ。
おおたき・じゅんこ 1977年埼玉県生まれ。新潟県村上市山熊田のマタギを取り巻く文化に衝撃を受け、2015年に移住した。