なぜ、これほど杜撰なのか?
リニア工事の進捗を検証してみる
フリージャーナリスト
樫田秀樹
2023年12月14日。東京(品川駅)から名古屋までのリニア中央新幹線の27年開業を目指していたJR東海は、開業予定を「27年以降」に変更すると公表した。さらに4月上旬には、工事が遅れている工区を3つだけ紹介したが、それでも、「唯一着工を認めていない静岡県での工事より遅れることはない。リニア開業は『34年以降』になる」と公表した。
すべて遅れているかは明白
なにを今さらである。
リニア開業が27年に間に合わないことは、リニア問題を追究する市民団体の間では20年には分かっていた。私も20年から、リニア工事の進捗を調査しているが、リニアが通過する1都6県(東京、神奈川、山梨、静岡、長野、岐阜、愛知)のすべてで工事は大幅に遅れている。だが、JR東海は全計画路線での工事の遅れについては1切触れず、県内での着工を唯一許可しない静岡県だけが27年開業を遅らせていると主張してきた。
2 0年夏。私はJR東海の宇野護副社長に
「1都6県のすべてで工事は遅れている。そのご認識は」と尋ねたが、宇野副社長は「どの現場も27年開業を目指し工事しています」と回答するだけだった。
専門的調査をしたわけではないが、私が27年開業が無理だと確信したのは、JR東海が公表する各工区の工程表と実際の進捗を見比べ、足し算や引き算をしたからだ。小学生でも算出できるレベルの調査である。
だが、こんな簡単な調査をメディアも自治体も実施せず、ただJR東海の「静岡が着工を許可しないので」とのコメントを垂れ流しにするだけで、結果として「静岡はリニアの邪魔をしている」「川勝知事はいちゃもんをつけている」といった静岡バッシングが起きている。
ここでは、具体的な数字でリニア工事の遅れの実態を伝える。
そもそもの始まり
静岡県がリニア問題と対峙したのは13年9月。
リニア計画の環境アセスメントを終えたJR東海は、その報告書である「環境影響評価準備書」を都県ごとに公表した。
その内容に川勝平太知事や大井川の水を水源とする8市2町は驚いた。そこには簡単な表で、南アルプスでのトンネル工事で大井川の流量が「毎秒2トン減少する」ことが記されていたからだ。これは8市2町62万人分の水利権の量に匹敵する。
川勝知事はこれを看過できず、準備書への知事意見として「失われる水の全量戻し」と「その方策を対話する協議体にJR東海も参画せよ」の2点を求めた。これにJR東海が応じたことから、14年4月、県、JR東海、有識者とが話し合う「中央新幹線環境保全連絡会議」が発足した。
以後、連絡会議では、全量戻しの方法、生態系の保全、建設発生土の盛土の安全性について話し合うが、10年が経つ今も「トンネル湧水を導水路トンネルで大井川に放流する」「発電ダムの取水制限をする」などの方向性は打ち出されても、JR東海は県が納得するだけの具体策を詰めていない。静岡県が県内でのリニア工事の着工を許可しないのは、これが理由なのだ。
20年6月26日、JR東海の金子慎社長(当時)が静岡県庁で川勝知事と会談し「6月中に着工許可をいただければ27年開業に間に合う」と着工を要請した。川勝知事はこれを拒む。となると、今年4月下旬で会談から3年10ヵ月経っているので、静岡工区での工事の遅れは3年10ヵ月となる。
この会談で私が関心を持ったのは、川勝知事が金子社長に「なぜ静岡だけが工事の足を引っ張っていると言われるのか」として、他県での工事の遅れについて具体例を示したことだ。
「長野県大鹿村の除山(のぞきやま)の斜坑工事は掘削が数年も遅れ、岐阜県の山口非常口(斜坑)ではトンネルが崩壊し工事が中断し、名古屋市の名城非常口(立坑)は地下水で水没して工事が1年止まった。他にもある。他県での工事の遅れが2027年開業を難しくしている」
金子社長は、「静岡の工事が一番時間がかかるので」と答え、他県での遅れに言及しなかった。だが、このやりとりを大手メディアは1行も報じなかった。メディアが報道したのは、川勝知事が着工を拒んだことでJR東海が表明した「27年開業は難しくなった」のコメントだけだった。そして翌日から、特にネット上では、「静岡はリニア計画を邪魔している」との静岡バッシングが始まった。
このとき、大手メディアが川勝発言をもとに各地での工事の遅れを取材し、報道していれば、静岡バッシングなど起きず、27年開業があり得ないことが広く認識されたはずだ。メディアの責任は重い。
すべてが遅れている
JR東海は27年開業が遅れることは認めたが、もっとも遅れるのは静岡だとの主張は崩していない。
ここは推測になるが、JR東海とすれば“静岡悪者論”を展開することで、静岡に着工を迫るプレッシャーを作り出し、同時に、他都県での工事の遅れへの目を逸らすことで、事業者としての責任を問われるのを回避しようとしたのではないか。
だが事実として1都6県で工事は遅れている。それも、3年1 0ヵ月どころではない。
もっとも遅れる工区の一つが、神奈川県相模原市鳥屋地区に建設予定のリニア関東車両基地だ。試算では10年遅れ。工期11年だが、工事契約は23年9月と遅く、用地買収も終わっていない。仮に24年着工でも、完成は35年。さらに、電気調整試験やリニア走行試験などに約2年をかければ開業は3 7年になる計算だ。
全線での主な工区の遅れは、表を参照してほしい。
表では、
・27年開業を基準としての遅れを算出
・路線や施設の完成後も、上記の電気調整試験やリニア走行試験などに約2年がかかると見る。その2年を「工期A」と表現
としている。以下1都6県別に見てみる。
[東京都]
①第一首都圏トンネル・北品川工区(品川区。9・2キロ)——マシン・トラブル
21年10月14日。JR東海は北品川非常口(立坑)からシールドマシンを発進した。最初の300メートルを半年かけてゆっくり掘る「調査掘進」との触れ込みだったが、土を掘りやすくする添加剤の量が足りず、土がシールドマシン前面に付着し掘進不能となる。22年3月末での掘進距離は50メートル。2 3年3月27日に再発進するが、10月6日、124メートル地点で、マシンに7センチのへこみができたことで再中断。24年4月8日再開し、4月16日時点で127メートル。すでに2年半の遅れ。工期Aを加えて4年半の遅れ。北品川工区の工事進捗率は約1.4%にすぎない。JR東海は調査掘進終了後は月400メートル(1日16メートル)のハイペースで掘削すると説明している。
[神奈川県]
②第2首都圏トンネル(相模原市。3・6キロ)——用地未買収
神奈川県相模原市での相模川以東の約850人の地権者(推定)への用地取得事務は、15年から20年3月末までがJR東海が相模原市に委託した契約期間だった。だが用地取得は、2年間の再契約を2回繰り返しても、2割が未買収。用地取得だけで少なくとも4年遅れている。そして、地権者がいる以上は未着工で、工事進捗率ゼロ。仮に24年着工でも、複数の工区のほとんどが工期10〜11年なので、工期Aを合わせると3 7年に開業準備ができる。10年遅れ。
③(かつての)リニア神奈川県駅工区(相模原市)——工事未契約
リニア駅は4つの工区があったが、2 1年3月末に2工区に短縮。外れた2工区のうち、JR東日本の横浜/相模線と自動車アンダーパスの交差地点のさらに下のトンネル工事は難工事と見られ、工事未契約。工期10年なので24年着工でも、工期Aと合わせると開業準備は36年と9年遅れ。
[山梨県]
③南アルプス市——裁判闘争
市内の5キロ区間でリニアルートの地上区間の至近距離に暮らす住民6人が、日照障害、騒音、眺望の喪失を恐れ、工事差止を求めて19年5月に提訴。JR東海の測量を拒否するため未着工。工期は7年。24年5月に地裁判決が出るが、高裁、最高裁の判決までさらに数年を要し、仮に敗訴が確定しても用地買収に応じないことから1
10年以上の遅れの可能性がある。
[長野県]
④坂島工区(豊丘村)——人身事故
18年1月のトンネル掘削開始予定が、実際の開始は21年7月。この時点で3年半の遅れ。さらに21年11月、22年3月、4月と立て続けのトンネル崩落事故などで作業員が重軽傷を負い、そのたびに工事は中断。工事は延べ4年以上遅れ、工期Aを合わせると6年遅れになる。
[岐阜県]
⑤瀬戸非常口(斜坑)と本坑(中津川市)——難工事と死傷事故
斜坑掘削開始は19年度末の予定が、作業ヤードの整備中に巨岩が出現し、その除去に難航。斜坑掘削開始は21年6月と1年強遅れた。そして21年10月に斜坑の崩落事故で死傷事故が発生し、工事は半年以上中断。本坑(4.4キロ)の掘削は23年5月だが、同年12月時点で520メートル掘削しただけなので、このペースなら掘削完了には5年かかる。さらに工期Aを加えると開業準備は33年と6年遅れになる。
[愛知県]
⑥名城非常口(立坑。名古屋市)——自然現象
18年4月に掘削開始予定が実際の開始は半年後の9月。12月には地下水で水没し、約1年、工事が中断した。また19年夏に発進するはずのシールドマシンも発進したのは24年4月8日。4年半以上の遅れ。工期Aを合わせると開業準備は6年半以上の遅れ。トンネル区間に少し触れる。リニア本線ルートは約286キロ。完成している山梨リニア実験線(約43キロ)を除けば、建設区間は約243キロ。このうちトンネル区間は約210キロとされている。このうちJR東海が工事契約を結び、実際に着工した工区は17、約104キロ。ほとんど工事中で、その進捗は公開されていない。
あり得ない認識と自治体の責任
こうした事実を取材せずに、JR東海のコメントに沿った「静岡悪者論」を垂れ流し報道するメディアの責任は重い。だが、メディアだけの問題ではない。リニアが通過する自治体も、27年開業を安易に信じ、特にリニア駅周辺開発のために多くの住民を立ち退かせている。
24年4月22日、長野県の阿部守1知事とJR東海の丹羽俊介社長が県庁でリニア計画についてトップ会談を行った。そこで、阿部知事は開業が大きく遅れることを「ショックだ」と発言したが、その発言こそ大ショックだ。阿部知事は、長野県で工事が大幅に遅れている事実を知らなかったということになる。
実際、2 0年の川勝知事と金子社長とのトップ会談で、川勝知事が着工を拒んだあと、計画沿線上の知事たちは以下のようにコメントしている。
「27年開業が難しくなったことは大変残念だ」(黒岩祐治神奈川県知事)
「静岡県に受け入れを求める」(長崎幸太郎山梨県知事)
「中部経済圏にとって大変残念な状況になる」(大村秀章愛知県知事)
知事たちは自身の足元の工事の遅れを知らない。
私は昨年秋、神奈川県県土整備局都市部交通企画課に「車両基地の工事が大幅に遅れている。27年開業に間に合わないとの認識は?」との質問を、山梨県リニア未来創造・推進課には「リニア駅は工事契約すらされていない。このままだと開業は7年遅れることをご存じか?」との質問を投げた。だが回答は、両県とも「JR東海からは、27年開業に向けて工事を行っていると聞いております」という、自ら情報を取りに行かない姿勢をあらわにするものだった。
特に神奈川県は「JR東海からは、車両基地の工期11年は短縮できる。27年に間に合うとの説明を受けた」と、わずか4年後の車両基地完成を信じているという、あり得ない認識を示した。
長野県飯田市では、22年12月にリニア駅の起工式が執り行われ、その前後から、駅建設のため、そして駅周辺開発(駅前広場、アクセス道路、民間誘致など)のために、JR東海から委託を受けた市が用地買収に奔走し、200弱の世帯を立ち退かせた。
昨年5月、その立ち退き対象からギリギリ外れた地区に住む男性は憤りをこめて語った。
「俺はリニア反対。でも、これだけ多くの住民が泣く泣く立ち退いた。そうであれば、何が何でも27年開業をしてもらわないと彼らが報われない」
だがフタを開ければ、開業は34年以降。市職員は私の電話取材に「27年開業をあてにしていた民間投資が遠のく」との不安を吐露したが、自分の足元の工事の遅れという基本情報を調査さえしていれば、立ち退きにも柔軟に対処できたし、リニア駅周辺開発も計画性をもって堅実に行えたはずだ。
同じくリニア駅ができる相模原市にも「27年開業が崩れた。駅周辺開発はスローダウンすべきでは」と尋ねると、「基盤整備は早ければ早い方がいい」と開業遅れを意に介さない回答だったが、立ち退き対象とされている住民たちは「もう立ち退く理由がなくなった」と市と対峙する姿勢を強めている。
どんなに早くても10年は遅れるリニア開業。それでも、JR東海とメディアは「静岡が着工許可しないので開業が長引く」との静岡悪者論をやめようとしない。だが4月に入ってから、1都6県での工事の遅れについて報道するメディアも少しずつ現れているのも事実で、おそらく今年か来年には計画全域での工事の遅れは広く一般の知るところとなる。
そのとき、JR東海、メディア、そして自治体はまっとうな対応を見せるだろうか。
フリージャーナリスト。「リニア中央新幹線」「難民・入管問題」など、大手マスコミが積極的に報道しないテーマで孤軍奮闘している。ボルネオ島の熱帯林と先住民族がライフワーク。