本サイトは『望星』7月号の記事をすべて掲載した、検討用のサンプルです。ダミーのテキストや許諾を得ていない画像も使用しています

[詩のとびら]投稿の広場◎マーサ・ナカムラ

 私とフジタ        花氷

深夜、隣の家の白い壁にいる、
痩せ細った乳白色の家守と目が合った、
私は試しにそいつをフジタと名付けた、
フジタは見られているのに動じることもなく、
《五人の裸婦》の絵画となるが、やがて、
〈戦争の記録画〉にメタモルフォーゼする。

取り憑かれたように戦争画を描くフジタ、
半島から蛇腹式に、列島は延び、
蛇の頭としてひとつの島が浮かぶ、
鉄兜、鉄兜、
焦げ茶色の皮膚がすべて、
折り重なり、ただ折り重なり、
日本刀を振り翳す男の白い歯、切り裂く銃剣、
屹立する雪山の向こうに五月の海、軍艦の翳、
ぼうと 浮かび上がる日本刀、
敵味方不明の白兵戦の、魂の悲鳴、
命が外れ、ひとの死に、死骸が埋もれ、
地層のように折り重なり、隅でひとり、
安らかに眠ったような安堵の兵士、
永遠に眠ったまま、動かない、
その額の傍らに咲く、ちいさな、
青紫色の花はあかるく、
刀を振り翳す白い叫び声がすべての

――男どもを呑んでやった

乳白色の大蛇が焦げた戦場ごと丸呑みにする、
その腹の膨らみが渦となり、もはや〈素晴らしい乳白色(ベビーパウダー)〉ではなく、
ひとの魂の炭で描かれた、
真っ黒の絵画にメタモルフォーゼする、
一枚の荒地が見えてくる。

裸の女たち、裸の孤児たあちの行列、
蛇行する声明の行列、そこは闇市。
(私のおばあちゃんが並んでいる、
(気がする、
うねるうぶごえ
いきるこえ
しんでいくこえのぶつかりあい

(ふわりと誰もいなくなる
(裸舞台のまま 長い間

ギャルソンがひとり現れる、赤ワインを注ぐ、
巴里の《カフェにて》頬杖をつく乳白色の女、
レオナールは毎日絵を描いている、
(私は壁を這うように詩を着ている、

《花の洗礼、
鼻に水を注ぐ女、青衣の女、
ジュイ布のある裸婦、モンパルナスのキキ、
ユキ、君代、私の夢》
猫は 戦争画を知らない
猫は戦争という言葉を知らない
そして、

―――ときが、
   これらもすべて呑み込んで

黒い玉が 宙にひとつある、
かつて青色の花の星だったもの、
(照明が落ちていく、暗闇のなか、
じりじりと巨大な線香花火の火花、
散る)

参考:藤田嗣治『アッツ島玉砕』
本文《》内は藤田嗣治の作品タイトル及び彼の愛した女性たちの名前を引用


午後までの仕事  森田 直

毎朝コンビニでМサイズのカップに
マシンがいれるコーヒーはおいしいな と感じます
出社して早々に入るトイレの個室で
効きすぎるカフェインは皮膚を浮かす 気がします
剥がれ落ちるふけがおさまるには
始業までのあと十五分間では足りない と思います

午後までの仕事は 書きかけのメールの末尾を消して
わたし自身の言葉にしていくこと だったけれど
いつまでも書きおわらないメールがあります

 この床はわたしと同じくらいには古くて
 しゃがみ込めばせつなく音がたつと思う
 ふだんは踏みつけておいて どうしても
 しかたがないときにだけ 開けるように

メールソフトの更新ボタンを十秒ごとに押していると
昼になりました 昼休みはいつも
案外チープな入口が忘れがちな記憶の側面につながっていて
熱い蕎麦にのった揚げちくわを運ぶ箸が止まっています
冬の分厚い湯気が目をうるませて時間の輪郭がぼやけていき
座っていることが苦痛ではないと今日はじめて 感じました
食べる前から 奥歯に挟まっているものを ぬくと
おわる と思っています
おわらないようにっ気をつけていると
どんな容器のフチにも断崖が見えてきます

帰社途中のコンビニで注がれるМのカップを見つめています
謝ってマシンのLボタンを押したのでじっと見つめています
皮膚をあわだたす黒い汁が マシンの底をひたす期待で
頭が冷えていく今がようやく
午後です。


 ほたる      早乙女ボブ

巨きな柱が
腐ってゆく
潮がみちて
侵されて

孤島に遣らされた
ヒヤシンスのみどり
花の色は
もう
消えてしまった

 くらくなる
 ねむくなる
 かぞえて おしまい
ほたるの
ひかり

右の腕に
かごを提げ
ひだりの手には
象牙の笛を
泉までの道のりは
はるか
遠く

 ながれる ひかり
 もとめて とめて
 さまよう まよう
 ほたるは
 ひかり
あかく燃える
月下の都
喪章をつけた
若者たちが
つめたい灯火を
守るために
影のかたちで
佇んでいる


講評

選者は「詩のとびら」の筆者であるマーサ・ナカムラさんです。★作品掲載ありの佳作、◎は掲載作品なしの佳作、○は選外佳作、それ以外は作品の投稿順に掲載しています。今号では投稿作品多数につき、2篇ご応募いただいた方は1篇のみの講評となります。ご了承ください。


★「私とフジタ」花氷
特に改善点は見つからない。心象風景の日記が、この書き手の輪郭をまるで私小説のように浮かび上がらせるだろう。

★「午後までの仕事」森田 直
挿入される詩が面白い。意味が分からないのに、どこか共感できてしまうことが読んでいて不思議だった。言葉の意味を超えたものがこの作品にはある。描写が隅々まで行き届き、読んでいて心が広々とするような快感を覚えた。

★「ほたる」早乙女ボブ
『ゲド戦記』の世界観のような、抒情的な幻想を見た。「潮」「孤島」とあり、海のイメージが強いが、「ほたる」は清流のそばにいるのではないかと、そこが少し気になった。その疑問点を超えるほど、最終連の情景が美しかった。


◎「発生へ発生へ」帛門臣昂
「意味は無い」言葉の群れの躍動感。意味をなさずに形成する言葉は、生命の群れすら思わせる。もし未読であれば、榎本櫻湖の詩を読んでみてほしい。意味のない言葉の群れは、見たことのないイメージを想起させる。最終行も効いている。

◎「旅ゆられ置物」ますこゆうり
単なる心中の告白にとどまらず、「置物」となった「わたし」の体内や外で起こる変化やにおいを感じられる。幻想的だが生々しくて非常に良い。ただ緊張感のある序盤から、中弛みする中盤がもったいないとも感じた。削ろうか迷う言葉は必ず削るべきだと、太宰治は『もの思う葦』で私見を述べている。

◎「予兆」原島里枝
萩原朔太郎、北原白秋らが活躍した時代の詩の空気感がある。言葉は少ないが、そこに叙情の心地よい風が通り抜けている。ひらがなと漢字の選択も適切である。最終連、あと一行足すと、より世界が広々して見える。一行だけ書き足すのが難しければ、三行書き足して二行消すといい。

◎「夜の髪ノ川」曲田尚生
吉増剛造、岸田将幸の流れを思わせる。決して虚飾ではない、実のある飾り立て。この続篇を書いて、つなげて一篇の作品とし、『現代詩手帖』に送ってみてほしい。もう一歩で、自分自身の個性が出る。


○「眠る前に」星野灯
散文詩という表現方法をうまく活用している。筆者にしか書けない言葉を一行目からつづっている。「ようよう」という言葉や体言止めもうまく効いている。重苦しい世界の中で、「カップ麺」だけが軽く浮かんで見える。その後の描写もすごくいいので、この「カップ麺」に重みを持たせるために、手触りなどの描写を加えるといい。

○「透明なスフィンクス」名端みちる
「透明なスフィンクス」というモチーフに、令和の社会にいまだ蔓延する性差別の実情を託している。前半部はやや説明調が強く、行分けの形がかえってもたもたとして見えた。最終連は説明の順序を越えた思いが語られていくようでよかった。

○「マークス」関根健人
二連目「ゆきすぎてしまうのよ」の語尾が意外で、効果的なアクセントになっている。私は詩に登場する言葉に必然性を求めてしまうが、意味のない、意味をもたない言葉を責めるべきではないと思わせる力がある。榎本櫻湖と親和性が高いだろうか。二重構造も良い。

○「船出」ケイトウ夏子
短い詩だが、「大陸をつないでみたい」というダイナミックな言葉がうまく効いている。最終行は品が良くていいが、この分量であれば、大袈裟な言葉で読み手を驚かした方が、共感を呼ぶ作品になりそうだ。

○「可視光線」まつりぺきん
一行目から、おや、と思わせる。読み手の心も作品に引き寄せられる。論理を超えた真実を直感させる力がある。余計な言葉を全て削ぎ落としている。石原吉郎の作品を想起した。

○「2024/04/04 18:08」こやけまめ
「贅沢だから/九行で消えてしまいます」という表現が特に良い。「九行」の量や時間の感覚は読み手にゆだねられていて、最高の贅沢を想像するに十分である。最後、母の怒りで完全に終わってしまうのがもったいない。余分な行を継ぎ足してから、三行まで削れば、ちょうどいい余韻を読み手に与えることができる。

○「逆算」角 朋美
二連目と最終連は鋭くて良い。発想が面白いので、あとは自分自身との距離感をどうとるかが鍵になる。「自分」を離れて観察し、「自分」の宇宙を提示する。伊藤比呂美の作品を読むといい。

○「P/H」ヤナギダリョウ
自分にしか書けない情景を、散文詩でうまく紡いでいる。淡々とした日常を「ですます」調の告白体でつづるが、「ですます」調がかえって作品を単調にしている感じがした。言い切りの形の言葉の方が、筆者の世界観にあっているように見えた。

○「顔」田村全子
日常の穏やかな景色をつづっているが、刃のように鋭く冷たい言葉が登場するのが面白い。「お彼岸だが墓参りには行かない/だって母は家に憑依しているはずだから」「自分のルーツを知らないが/わたしは生きてきた時間の土着民だ」という言葉が特に光っている。情景描写を取り入れれば、また表現の幅が広がるはずである。

○「ギーガー父さんとエイリアン息子」石川小傘
作者の生命力が作品から溢れ出ている。強いモチーフが連続して登場し、イメージをすべて噛み砕いて想像するのは難しいが、このごろごろとした食感が作者の持ち味でもある。人が集まる駅やスーパーを「巨大な祠」と表現するのも面白い。最終三行は、最終連の前半に持ってきた方が、良い余韻残るかもしれない。

○「川のレジャー」花山徳康
感傷的だが、作者独自の世界がうまく表れていて佳作である、全体的に良いが、「ほたる烏賊」と「折り紙が立つ学校」は、モチーフの必然性を直感的に読み取りにくかった。ここだけ可笑しさが浮いているので、ここは描写だけ置いて言葉を隠した方がいいかもしれない。

○「えん、」清水ロカ
「中心」の狂気にとりつかれ、回りながら堕ちていく人間。「わたし」は堕ちていくに違いないと思う読み手の想定を裏切らないことがもったいない。難しいが、芥川龍之介『歯車』のハッピーエンド版をつくるような気分で、実験として、自分の想定した方向と逆方向の結末を書いてみてはどうだろうか。

○「緑」井上正行
表現は良いが、感傷の形が最後まで変化していないことが気になった。それでもいいじゃないかと思う一方で、行き止まりの表示を見るような息苦しさが読後に残る。感傷を見つめずに、別の事物から哀しみが滲み出るような書き方をした方が、筆者の良さが出る気がする。

○「白薔薇」新里輪
前回の作品の時にも感じたが、この書き手の空と地の接続間が心地良い。空と地上、さらに黄泉の国が、一本の糸で繋がっているような、不思議な世界観だ。日常に垣間見る異界の一瞬を描いているが、仮に一日を描けば、現代詩としてより洗練された作品になる。

○「文字を覚える」鳥居 雪
文字を子に教える人の営みの神聖さに、この作品を読んで初めて気付かされた。完成度が高い。終わり方は良いが、「わたしは、」から「少し撫でて」の二行が説明的すぎる気がした。


「人魚」村口宜史
「鋭利な月」を示すことで、作品世界の闇が一層深くなる。「婆」が開けるのは箱ではなく「匣」としたところ、パンドラの匣を思わせる。「二足歩行の女」という言葉も、読者を作品世界に立ち止まらせる。映像的な美しさが立っていて、読者をその世界に立ち止まらせる力のある作品。

「文字の人」吉岡幸一
事物がすべて「文字」に見える、というモチーフが面白い。文字の中でも平仮名や片仮名ではなく、漢字を置いたところに、そのグロテスクな映像が立ち現れるような気がした。行分け詩だが散文の気配が強い。いっそ行分けにしない方が、すっきりとした印象を与えられるかもしれない。最後の三連は、行分けの形のままでもいい。

「わたしはそら」ほかのなにか
詩の語り手を人ではなく、「そら」としたところが面白い。天候によって人を翻弄するが、最後には自分の下で生活を営む人という存在に対する愛も覗かせる。私たちは天候を見上げることしかできないので、見下ろす側からはどのような情景が見えるのか、描写で書き込めばより作者の世界観が立つはずだ。

「ボウ」南田偵一
二人称という試みが面白いので、この作品が二人称であることを読み手に序盤で分からせる仕掛けをした方がいい。冒頭から「あなた」をいれてはどうか。駅に立ち、電車に乗る人の肉体感覚が生々しくて良い。

「藍色」雪代明希
最終連が特に良い。風に吹かれる感じの作者の世界観は、片仮名だと軽くなりすぎるのかもしれない。唯一片仮名を使用していないこの連が絶妙なバランスを保っている。一連目「情報に晒されなくても/独りになれる空間」というのが、独りになればむしろ情報からは遮断されるのではないかとも思い、この言葉の意図が読み手に直感的にわかりやすくするといい。

「とらわれ」cofumi
「好き」の二文字に「まるで憑依されたように」という表現が面白い。たしかに、「好き」を振り払うことができずに、普段の自分であれば考えられないような行動をとってしまうことがある。これは憑依という状態にぴったりとあう。この書き手は、誰にでも伝わる情景を題材にとるが、独特の言葉選びをするために凡庸にならない。

「エトワール」笠原メイ
美しい箱庭を作り上げている。桃源郷のような森の中で「彼女たち」は舞い踊るが、「音楽に混じる、混じり気のない血液は」など、彼女たちの体内にも美しい箱庭がある。彼女たちがなぜそれほど「星」を待ち望むのか、物語を加えることができればより世界観が深まる。

「丘の上の木」白壁麻央
哀しみから、自分の葉を「言の葉」に変えて外の世界へと旅立たせる様子は、ワイルドの童話「幸福な王子」を連想させた。一連目は三人称、二連目からは一人称になっている。一人称になる二連目以降を、例えば一字下げで全て展開させていけば、直感的に読みやすくなる。

「マニキュアの詩」湯村りす
マニキュアを塗る時の、心の昂りをうたっている。薔薇、ミモザといった色合いの美しさから、最後はマニキュアの刷毛の流れを、「モネの風景画の筆致」と重ね合わせており、読んでいて心地いい。それぞれのマニキュアに思いを込めており、そこに描写を加えれば、より独自の世界観が立つだろう。

「桜の季節に」佐野真人
家出して帰ってきた妹を迎える家族は、それぞれ自分のことで精一杯。説明的な調子で始まるため、妹の物語が展開しないことが意外だった。これならば、タイトルは『家族写真』などとしたほうが、作品の良さが伝わる気がした。

講評を終えて

 明らかに、前回投稿時より全体の筆力が上がっている。こんな短い講評の言葉で伝わるだろうかと思っていたが、このページの投稿者たちは短い言葉から、こちらの想定を超える部分まで吸収したのだろう。描写に悩みを抱える人は、対象物との距離感を意識するといい。(マーサ)


●今号では2024年3月22日から4月22日の募集期間に投稿された47篇の中から選考を行いました。

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