山﨑修平
人は走り留まらず走り去る言葉は摩耗し溶けてゆくこの瞬間瞬間の揺らぎは太古の記憶を呼び起こす代々木上原の崖のしたに溜まってゆく渋谷は遠い渋谷は近い俺が百年誓って届かせる言葉は三味線と野良犬の優しさもう少しなんとかなりそうだ日々に愛を日々にわずかなくだらなさをあとは何も必要はない渋谷パルコの階段に萎れた花を携えて祝う祝う祝って終えるまた走り出す渋谷は遠い渋谷は近い代々木上原の崖から橙の満月を凍らせた日々をさよならとでも言えば良いのか違う違ったまた走り去る電信柱よガードレールよもどかしい吐き気にこのアレがアレしてもなおまたお前は走り出す摩耗し溶けてゆく渋谷は遠い渋谷は近いモイスチャーミルクをさもなくばスキップ&ターンそこのけそこのけ急に西永福が出てくる東京中の火鍋を集めて賢さを目減りさせてゆけばたちまち鶴は蔓に絡まりツルッといかがわしい言葉ばかり出てくるこめかみ泥棒のことをもう赦してあげろって俺が言うとするだろそれでおめえがそれに反対って言うだろ冷やし中華を終わらせに来ました俺が終わらせに来ました早くしろ早くそれを寄越せ悲しいたけのこ掘りでみんな帰った後ですかつまるところ目分量だから罰することにした火の用心と虹を嚙み砕けば光線の解釈はぶれるあなたの嘆きもあなたの癒しもあなたを慰撫することも拒絶してザリガニの余生を慈しむ装置その名もコペンハーゲンに置いてきたあさぼらけから始まる恋物語がジャンキージャンクフードがつつがなく信奉に近い瑣末なミッドナイトに明け方のフルスイングを鼓舞してきた俺の人生はお前に語られるまでもなく最高なので出て行ってくださいなんて冗談じゃんジャンバルジャン健やかな眠りを全力サポートいいえ離してください鹿の仮面を返してください何故パントマイムをしながら毛皮をあらかた引き裂いて阿佐ヶ谷のマクドナルドに向かうのですかそこに現れる国税庁の人間とヒモ男が縄跳びや剣玉で決着をつけるとするだろうそのとき南南西に落ちる一筋の光が私のことだどうして何故に何故が何故だ何故に見えて何故だそれが何故だお前も俺は私は知らない何故だどうしてそんな表情でいられるどうして悲しむふりをするんだ何故それを悲しさと決めつけるんだそれは違うそれは同じだお前はそれを悲しさの箱に入れてしまったまたお前はそれを優しさとしようとしているんだ花火だ音だ音楽だこの震えを覚えておけ愉しくて外から内まで頰に音がこびりついている俺が下北沢で観た一つの真実のことをまた忘れてしまってすっかり抹消されたあとにまた観たいよ対峙しているのはいつだって光のことだった見覚えがあるお前にはどこかで会ったことがあった嬉しい。
やまざき・しゅうへい●一九八四年東京都生まれ。詩人・文芸評論家。詩集に『ロックンロールは死んだらしいよ』(思潮社)、『ダンスする食う寝る』(思潮社、第三十一回歴程新鋭賞受賞)、小説に『テーゲベックのきれいな香り』(河出書房新社)がある。
森鷗外記念館にて鷗外編纂の「東京方眼図」を入手。明治の地図を手に今を歩いています。