著者インタビュー
アンガー・ロレイ・クリステンセンさん
(ジャーナリスト)
1956年、デンマークのエベルトフト生まれ。コペンハーゲン大学歴史学部卒業(文学士)。85年デンマーク・ジャーナリズム学校卒業(ジャーナリスト資格取得)。日刊紙やラジオニュースの記者、東京特派員などを務める。夫人は日本人。日本に関する著作として『Japan i nutiden』『Tokyo – en smeltedigel af gammelt og nyt』『Fukushima』など。
昨年(2023年)、デンマークで『HOKKAIDO』と題した本が出版された。100年前、日本政府が北海道の酪農発展を目的に、デンマークから招聘した3人の青年の物語だ。本の著者、アスガー・ロレイ・クリステンセンさんに、異文化の中で苦闘した3人の話を聞いた(通訳は中田和子さん)。
──3人のデンマーク人が100年前の北海道にやってきたわけですが、そもそも任務はなんだったのでしょう。また、その記録がデンマークに残っていたのですか。
1923年、3人のデンマーク人が北海道自治政府からデンマーク的な農場を二つ設立することを目的に招待されました。農場は、特に酪農を視野に入れたもので、北海道の農家のモデル農場となるはずでした。彼らの日本に5年間滞在したのですが、デンマークと日本の公文書館や古い新聞・雑誌に資料が残っていました。それから3人の遺族からも多くの貴重な情報を得ることができました。
興味と勇気を持った3人
──3人はどういう人物なのでしょう。帰国後はどういう人生を送ったのですか。
モーテン・ラーセンとエミール・フェンガーは農業を営む、若く冒険好きな人物です。幼い子供も含む家族とともに、2、3ヵ月の長い航海をして日本に着きました。ペーデル・ソョナァーゴォーは、モーテンの農場で働いていた人物です。
3人とも未知の世界への旅にとても興味を示すと同時に、そこへ向かう勇気も持ち合わせていました。デンマークに戻ったあとも農民として働いたエミールとペーテルは、その後数十年間、北海道などからデンマークの農業を学びにきた日本の若い農民たちと交流するなど、デンマークと日本のあいだで大きな役割を果たしています。モーテンは、デンマークにいったん帰国したのち、すぐにカナダに渡り、デンマークには戻らなかったようです。
──本にまとめようと思ったのは、どこに興味を持たれたのですか。
彼らの話を聞いたのはもう何年も前です。
デンマークと日本の関係の最初期のことです。旅は困難だったでしょうし、彼らの使命も重要でしたでしょうから、私にはとても美しいエピソードに感じるとともに、歴史を掘り起こす厳粛な気持ちにもなりました。
彼らの遺族に会い、生身の人間としての彼らを知るようになって、彼らが日本で経験した問題や葛藤を知ることができました。資料だけではなかなかわかりませんね。魅力ある、後世に残すべき話なのだという思いに初めて駆られました。それからは本格的な取材を開始して、まとめあげました。デンマークで、彼らが日本に到着したちょうど100年後の2023年に出版することができました。
──今でさえ日本は排他的です。100年前、異国からきた彼らは、かなり苦労したのではないでしょうか。
3人は、それぞれのやり方で課題や問題に立ち向かいました。二つの農場のうち大きいほうの、モーテンの農場は、北海道農業大学校の試験場に近い真駒内にありました。彼は、日本の官僚主義や懐疑的なまなざしと衝突を繰り返しました。しかし最終的には、彼の農場が大きな収穫をあげることに集中し、その結果を示すことで、モデル農場としての役割を果たしたのです。エミールの農場は琴似にあり、ことらはもっと自由に仕事を進めることができました。日本人ホストファミリーとの衝突を経験しましたが、やがては協力的な関係を築きました。
ペーテルは特別な存在かもしれません。家族を帯同しなかったことで、日本人の同僚たちと過ごす時間が多かった。またオープンな性格で、最終的には流暢な日本語もものにしました。異文化を積極的に理解し、寛容でした。
3人とも、日本人、また日本的文化との衝突や葛藤があったものの、素晴らしい時間を過ごしたといえるでしょう。人生の中の輝かしい1ページになっています。
100年前の極上のエピソード
──彼らの仕事場である札幌郊外には、彼らの活動の記録、あるいは顕彰するものなどは残っているのですか。
札幌市と北海道の公文書館にはいくつか文書が残っています。デンマーク農業評議会やデンマーク大使館への報告書、古い手紙、特にペーテルが撮影した素晴らしい写真や記録もあります。本の中では、これらの写真をできるだけ多く掲載しました。当時の北海道の風俗も興味深いですね。
──苦労が多かったわけですから、北海道に対してはあまりいい印象がなかったんじゃないですか。どうでしょう。
そうとばかりとは言えないですね。深刻な問題もありましたが、素晴らしい体験もあり、彼らは皆、帰国後、北海道や日本人について好意的に語っています。エミールとペーテルなどは、また日本に戻り、旧友に会い、日本で農業研修を続けることを夢見ていたほどです。実際エミールは、1950年代と60年代の2回にわたり、日本に来て、講義を行い、日本の農業の開発プロジェクトにも貢献していまます。
──この本が翻訳されて、日本語で読めるといいのですが、日本での翻訳・出版の計画は?
いま日本語訳を出版してくれる出版社を見つけようとしています。特に北海道では、この本に多くの関心が寄せられると思います。あまり知られていないデンマークと日本との古い話ですが、読者には★100年前に異文化との出会ったデンマーク人と日本人の、極上のエピソードとして興味深いものがあるはずだと思っています。
■構成・編集部