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福嶋聡著『明日、ぼくは店の棚からヘイト本を外せるだろうか』◎澤一澄

ヘイト本を置く? 置かない?

司書
澤 一澄

 ヘイト本とは、昨今の日本では、在日中国人・在日コリアンほか中国と朝鮮半島にルーツを持つ人々を、歴史や社会を文献にあたって綿密に調査せずに悪とみなし、嫌悪感を表した本、と言うべきであろうか。

 2016年にヘイトスピーチ解消法が、2020年に川崎市でヘイトスピーチに刑事罰を科すことを盛り込んだ条例が施行された。民族差別に反対することが政治や社会に認められつつある。それでもヘイト本は出版社から発行され、書店で売られ、読者に読まれている。

 ジュンク堂難波店店長だった著者・福嶋聡氏は、2014年にブックフェア「店長本気の1押し!『NOヘイト!』」を催した。並べたのは中韓ヘイトに反論する数々の本とヘイト本『大嫌韓時代』の1冊。

 ヘイト本を棚から外すことはしない。見えなくしてもその本がこの世に存在することに変わりない。むしろ批判すべき本は実際に読む必要がある。書店に、本同士が戦い書店員と客が討論する言論のアリーナを作る。著者の「書店=アリーナ論」の始まりだった。ブックフェアは大反響を巻き起こした。

 この本で、著者自らが掲げてきた「書店=アリーナ論」とヘイト本が売れる社会を、さまざまな面から掘り下げて検証している。そこには日本の歴史観や民主主義、そして人々の心の問題が見えてきた。

 ヘイト本とヘイトスピーチには、日本と中国・朝鮮半島の歴史、特になぜ在日中国人・在日コリアンが生まれたかについての経緯が抜け落ちている。歴史修正主義が現れ、日本史から遠い著者が書いた奇妙な日本歴史の本が人気を集めた。それを歴史学者たちは内々で批判しながらも、広く社会に働きかけなかった。

 ヘイト本とヘイトスピーチには、真実を知った正義である自分が悪の嘘を暴く、といった色合いがある。他者の存在を認めない。多数派と少数派が対等な相手として違いを認めて討論する民主主義の基本がない。多数派が少数派を駆逐する、または社会の異物を排除すれば解決する、民主主義ではなく排外主義。その感情を民主主義社会の元である「言論の自由」を根拠に放つ。

 他民族に対するヘイトを支えるのは「自分は日本人」という自負。だが金にも機会にも恵まれていない。でも多数派の日本人だから、少数派で社会的弱者の在日を攻撃してもいい。しかし「自分は日本人」というのは生まれたら転がり込んできたもので、自ら獲得したものではない。

 ヘイト本を批判する書店主や書店員は、店にヘイト本を置かない選択をすることもある。でも結局、他のどこかで売られている。ならば書店員である自分は新たな書店に期待して、ヘイト本とそれに反論できる本を並べ、人と人とが意見を交わす言論のアリーナを支え続けよう、と著者は言う。

 著者の書店で言論のアリーナに立てるのは、確たる自己を持った民主主義者だろう。そうした人々が書店に現れるのを、著者は待っている。

福嶋聡著
dZERO
3,000円

澤 一澄

さわ かずと 司書

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