古本屋「蟲文庫」店主
田中美穂
倉敷美観地区 (岡山県) にある 「蟲文庫」 は根強いファンの多い古本屋だ。
店主の田中美穂さんは、 古本屋として、 一人の読み手として、
また、 一人の書き手として、 「積読」 をどう考えるのか?
特集の特別編集者 ・ 島田潤一郎さんが話を聞きました。
積読解消のモチベーションは
島田 これまでに蟲文庫で買った本はたくさんありますが、中でも『ドクトル・ジバゴ』は印象に残っています。長い小説で、手をつけるまでに時間がかかるというか、積読になってもおかしくない本ですが、読んだらすごくおもしろくて。
田中 『ドクトル・ジバゴ』は、すごく長いことうちにあった気がします。それを島田さんが買ってくれたなぁと、いま思い出しました。
島田 ぼくはいま積読本が千冊くらいあるんですが、田中さんはどうですか?
田中 あるにはあります。ただ、積読か仕事に必要な資料か、その境目がよくわからない。
島田 ぼくの場合、積読の典型は古典です。「古典を読める自分でありたい」という気持ちがつねにあって、古本屋さんで見つけるとつい買ってしまう。田中さんの店にも古典がけっこうありますね。
田中 古典は自然に集まってきますね。ほとんどが近隣の人からの買い取りです。
島田 みんな、なんで売るんでしょうね。
田中 持ち主の方が亡くなったり、いまの季節は転勤で急に引っ越しが決まったという人も多いです(取材は3月初旬)。ここ数年うちでよく買ってくださっていたお客さんも、この春転勤されました。その方はかなりの蔵書家で、ある分野のコレクターなんですが、コレクション以外のものはある程度あきらめられたようです。
島田 転勤や引っ越しは、積読をあきらめる、けっこう大きなポイントな気がします。
田中 引っ越しやリフォーム、建て替えといった、住環境の変化は大きいですね。あとは年齢です。読みたいと思って買っても、年を取ると、体力的にも時間的にも読む余裕がなくなりますし、老齢で施設に入る、子どもさんのお家に身を寄せるといったケースもあります。もうちょっと若い方だと、子どもが大きくなって部屋がいるから本を処分したいとか。
島田 ぼくもいま、同じ状況に直面しています。テトリスって、やったことありますか?
田中 買い取り先から本を運び出して車に積むときは、まさにテトリスですよ。隙間を探して、そこを本で埋めていく。
島田 ぼくは、この本を読めば心理的負担がだいぶ減るという本を読むと、その本と著者やテーマで紐づいたいくつかの本も読むことができるんです。
たとえば、ロレンスの『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に訳したことで罪に問われた伊藤整自身による『裁判』は、お世話になった伊藤礼先生(伊藤整の息子)が亡くなって以来、気になりつつも読めずにいたんですが、『裁判』を読んだら、同じくロレンスの『息子と恋人』も読めた。そんな感じです。そうやっていくつかの本が読めると、テトリスのブロックを消したときのようなうれしさがあって、積読を減らすモチベーションにもなるんですが、田中さんはどんなことがモチベーションになりますか?
田中 しょうもない話ですが、原稿を書くのに必要になって読むことが多いですね。あとは、何かのきっかけで、自分の中で○○ブームが来たときに、○○に関する本を読むことがあります。
最近来たのは、西東三鬼ブーム。地元・岡山の俳人です。朝日文庫の「現代俳句の世界」というシリーズの『西東3鬼集』がたまたまカバーなしで入ってきたのを読み始めたらおもしろくて、家にある西東3鬼を特集した雑誌を出してきて読んだりもしました。この本には「神戸」「続神戸」など3鬼の自伝的な文章が入っているんですが、三鬼が神戸にいた時代に父が神戸で生まれているので、当時の神戸の混沌とした様子が興味深かったです。
旅先で買った龍膽寺雄全集が……
島田 いまさらですが、今日は田中さんにお聞きしたいことを箇条書きにしてきたんです。まず書いてあるのは……「30周年おめでとうございます」(笑)。最初のお店は、今とは場所が違うんですよね。
田中 ここより倉敷駅に近いところでしたが、ちょっとさびしい場所でした。2000年から今の場所で、両方のお店で30年です。古本屋がやりたいという気持ちだけで闇雲に始めましたが、最初は積読のおかげで店に出す本があったんですよ。
島田 いい話ですね(笑)。店に並べた田中さんの積読には、どんな本があったんですか?
田中 ほとんど記憶にないですが、あまりにも売るものがなくて『ジャン・コクトー全集』を並べたのは覚えています。なけなしのお給料から買った全集だったから、いまでもたまに思い出します。
島田 古本屋がやりたいといっても、古本屋のノウハウについて詳しいわけではなかったんですよね。
田中 古本屋にはお客さんとして行くだけで、古書の相場や古本屋の商売上の知識はまったくなかったです。開店当初は本にどう値段をつけたらいいかもまったくわからず、買い取りの人が来られると本当に緊張しました。だから、そのときのことはほとんど覚えていないです。
島田 田中さんは古書市場を運営する組合には入っていないので、仕入れのすべてはお客さんからの買い取りなんですよね。インターネットの普及で、古書の相場に関してはいろいろと情報が出てくるようになりましたが、本に値段をつけるのには徐々に慣れていった感じですか?
田中 そうですね。組合に入って市場で売買する人はまた事情が違うと思いますが、うちの場合はここで売れるかどうかが問題で、それはやっているうちにだんだんつかめてきました。
島田 買い取った本を見て、「これは積読だ」とわかるものですか?
田中 もともと新刊で買われたと思われる本は、開くとスピンが挟まっていたページに跡がついていたりして、そういう、読んだ形跡がまるでないような本は積読かなと思います。
島田 それは、引っ越しや年齢の問題で田中さんのところへ来ることが多いわけですよね。
田中 実家に積んであったけど、親から「自分たちもあまり先が長くないから、いまのうちに片付けてほしい」と言われて手放すケースも、けっこうあります。
島田 本を買って、定期的に実家へ置きに行っている人は、わりといますよね。一般的に、古本屋さんにある本は、元をたどればかなりの割合が積読だった本なのでしょうか。
田中 そんなことはないですね。本を読んでは持って来られる方もいらっしゃいます。ある方は、新刊を読み終わってはちょこちょこ売りに見えるんですが、最近その中に詩集が数冊ありました。詩集は、普通はすぐに手放さないことのほうが多いと思いますが、高齢の方なので、あまり長く本を持たないようにされているのかもしれません。
年齢に関係なく、「読んだら売る」「家にはこれだけしか本を置かない」と決めている人がいますが、あれはなかなかできませんね。
島田 ぼくも1時期そうでしたが、ダメになりました。全部古本屋さんが悪いんです(笑)。揃いものがきれいで安いと本当に弱くて、すぐに買っちゃうから。そういうこと、田中さんはないですか?
田中 わたしは特にないですけど、以前、『龍膽寺雄全集』のバラが2、3冊うちにあって、ちょっと眺めていたら、旅先ですごく安い揃いを見つけて、そのときはつい買ってしまいました。ただ、なかなか読む機会がないままでいたら、そのうち龍膽寺雄の解説を2回も書くことになったんです。それで、全部読みました。
島田 すごいな。ぼくはまだ、全集を読み見通したことはないです。龍膽寺雄はモダニズムの作家ですよね。
田中 そうなんですが、いろいろあって、サボテンの栽培と研究に取り組むようになる。そのサボテンのエッセイが、わたしが解説を書いた『シャボテン幻想』(ちくま学芸文庫)で、龍膽寺雄の全集はすごく役立った積読でした。とくに月報は、龍胆寺の人となりを知ることができるいろんなエピソードが書かれていて、原稿を書いているときはその月報だけをクリアファイルに入れて、いつも持ち歩いていました。
切実な「字が小さい」問題
島田 逆に、積読に悩まされたことはありますか?
田中 それはないですね。困ったら、自分のとこで売ればいいから(笑)。仕入れが買い取りだけなので、買い取りそのものが少なかったり、しっかりした本は入ってくるけど気軽に読めるものがなかなかなかったりと、いろいろ波があるんです。そういうときは、自分の積読からちょうどいいのを選んで出すことがあります。
島田 誰かが積読していた本を売りに来て、それが買った人のところでも積読になって、また売られてくる。そんなふうに何回転もする積読はありますか?たとえば全集とか。『鷗外全集』は?
田中 そのあたりはうちに買取りの依頼が来るようになった頃にはすっかり売れなくなっていました。『鷗外全集』はたしか全38巻ですから、住宅事情もありますし。
島田 うちでは夫婦そろって積読しているんですが、田中さんのところはどうですか?
田中 うちもそうです。夫は本を買うのも読むのも好きなんですけど、最近は特に仕事が忙しくて全然読まないでいたので、溜まっています。
島田 家の中では、どう置いていますか?
田中 本棚にざーっと置いてあって、こっちは夫、こっちは私というふうに、ぼんやり分けています。ちょっと混ざっているところもあって、それはどっちのものでもいい。
島田 普通の人は、ぼくらみたいに積読しているんですかね。そもそも、積読はいつごろから広まった概念なんでしょうね。昭和の時代に全集をそろえるのが流行りましたが、あの時期から?
田中 そうかもしれないですね、うちにも全集がありました。私が生まれた昭和4★10年代は、日本文学全集や世界文学全集といった全集をいろんな版元が出していて、それを家に飾るのがブームだった。父は本を読む人ではなかったから、積読とはちょっと違う気がしますけど。
島田 でも、いつか読もうと思って買った人がほとんどですよね。
田中 多くの人は、そう思っていたんでしょうね。
島田 将来を思って積読本は極力増やさないようにしていますけど、古本屋さんに行くと、やっぱり何か買っちゃうんですよ。ちくま学芸文庫の『新訂 江戸名所図会』の揃いなんて、見るたびにいつもいいなぁと思う。
田中 ちくま文庫もぼんやりしているとなくなるので、ある時に買っておいたほうがいいですよね。
島田 そうこうしているうちに、あっという間に年を取る気がします。だから、積読は字が小さいものから読まないといけない。特に文庫。
田中 古い文庫は、なおさらです。「字が小さくて、もう読めない」は、長年お客さんからよく聞いてきましたが、最近はわたしも切実です。
島田 年に1回くらいは何巻にもわたる長いものを読むようにしていて、『チボー家の人々』も『日本残酷物語』も、すごくおもしろかった。寺田寅彦の全5巻の随筆集も読みました。それも古本で、揃いで買ったんですよ。
田中 あれもまた、字が小さい。寺田寅彦の随筆は、わたしは新書サイズの箱入りの全集で読みました。
島田 新書判で、薄い箱に入っている、あの岩波の全集や選集はいいですよね。
田中 ただ、2段組みで字も小さいので、積読のまま手放された方は多いと思います。
今だからおもしろい本がある
島田 田中さんは、死ぬまでに読みたい本はありますか?
田中 それはないかもしれない。きりがないから、考えないようにしているだけかもしれませんけど。
島田 ぼくは、ジェイムズ・ジョイスを原文で読みたい。そのためにスケジュールを組んでいるくらいです。コンプレックスなのか何なのか、重要な作家や古典は読んでおかなきゃいけないという気持ちがあるんです。
田中 わたしは最近、日本の古典を読んでいます。もちろん現代語訳ですが。
島田 何がおもしろいですか?
田中 『宇治拾遺物語』とか、ヘンな話のもの。
島田 それは、たまたまお店に入ってきたものですか?
田中 そうです。売値をつけるときに、ざっと見て、どんなジャンルの本かを把握するんですが、そのときに読んでおもしろいと、そのまま読み始めることがあります。
島田 いいですね。古本屋さんって、魅力的な仕事だなぁ。
田中 古典でいうと、角川文庫のビギナーズ・クラシックは、年配の人から若い人まで「ちょっと読んでみるか」という感じで買っていかれる方は多いです。最初の取っ掛かりとして、読みやすいのだと思います。
わたし自身が古典に興味を持った最初のころ、堀田善衛の『方丈記私記』を読んだんですが、教科書で『方丈記』の冒頭部分を習った時の勝手なイメージとはぜんぜん違って。そんなことは義理の両親も言っていました。義理の両親は二人とも国語の教師で、食卓で古典の話をするような家なんです。
島田 なら、田中さんのご職業を喜んでくださったのでは?
田中 そうですね。義父が他界したときも、蔵書はうちで引き取りました。驚いたのは、『國文學』が創刊号から終刊号まで、すべて揃っていたこと。全788冊を揃えている人は、なかなかいないです。
島田 すごい数ですね。
田中 『國文學』の山だけで、ちょっとしたカタマリです。
島田 『國文學』で扱っているのは古典だけですか?
田中 近代や現代の文学の特集も多いです。
島田 この間、子どもと百人一首をやっておもしろかったんですが、「どういう意味なの?」と聞かれても全然わからなくて、古典をちゃんと勉強しようと思いました。
田中 学校で習ったころには全然興味がなかったし、ちょっといやな思いもしたんですけど(笑)、いまは少し興味が出ました。漢文もそうで、いま店番のときにはずっと『和漢朗詠集』を読んでいます。大正3年の古い本で、書き下し文は入っているし、解説も詳細なんですけど、読んでいるうちに、レ点などの返り点がなくても字を追う順番はぼんやりわかるようになってくる。だからといって読めるわけではないんですけど、なかなかおもしろいですね。
島田 古本を売りに来る人は、ときには読むのを諦めた積読を売りに来る。かたや店主の田中さんは、売られた本を自由自在に読んでいて、対照的な気がします。
田中 買い取りをするとまったく興味のない本が入ってきて、なんとなく手に取ったらおもしろかったということは何度もあります。わたしにとって、それは古本屋をやっていていちばんおもしろいことですね。
(構成・吉田 文)
たなか・みほ 1972年岡山県倉敷市生まれ。94年「蟲文庫」開業。『わたしの小さな古本屋』(ちくま文庫)、『星とくらす』(WAVE出版)、『ときめくコケ図鑑』(山と溪谷社)など著書多数。岡山コケの会、日本蘚苔類学会会員。