角 朋美
「卒業旅行に、星を見に行こう」
と友人をモンゴルへと誘った。中国の大気汚染が原因で、隣国のモンゴルから星が消える。そんな話がまことしやかにささやかれていた、2012年のことだった。
ロマンチックに友人を口説いてみたが、私の本当の目的は乗馬。幼い日に読んだ『スーホの白い馬』に憧れて、いつかモンゴルの草原を馬とともに、思い切り走りたいと願い続けていたのだった。女の身で単身の海外旅行は怖い。それでも諦めきれなくて、女友達を謀った。
『スーホの白い馬』は、モンゴルの民族楽器「馬頭琴(モリンホール)」にまつわる民話で、白毛の駿馬と若者・スーホとの絆を描いている。
読み終えた日を境に競馬番組にかじりつき、パドックが映るたび、サラブレッドを舐めるように見た。賭けるというよりは、乗る前提で。乗馬クラブで馬に乗せてもらうことも頭をよぎっていた。しかし[草原で馬と駈ける]という条件が、私にとっては重要だった。
ただ、学生の私にもちろん大金はない。格安の旅行会社に依頼した。かくして学生でいられる最後の夏、私はモンゴルの大地に降り立った。
首都・ウランバートルから、土煙と凹凸の道を車で3時間弱。モンゴルの遊牧民が使う移動式住居・ゲルでの生活を体験できる、テレルジへと向かった。到着は夜になり、星空が私たちを迎えてくれた。
夏の夜に湿る緑に足を下ろすと、青い草の匂いがした。草原に二人で横になり、友人と星を堪能した。見渡す限りの平原に、360度パノラマの夜空。星に願いをかける「明日は落馬しませんように」。乗馬体験を楽しみに、その日はゲルのベッドで眠った。
翌朝、予想だにしないことが起こった。軽装に着替えてガイドに挨拶すると、
「今日は8時間、よろしくお願いいたします」
と流暢な日本語で告げられたのだ。旅行会社が組んだ予定では、[乗馬2時間体験]と聞いていた。
この時期のモンゴルは夜が冷えるため、夕方には活動を終えて、家に戻る。8時間体験とは、[1日乗馬体験]を意味していた。
「やめますか?」と問われたが、ここまで来て、その選択肢はなかった。「いいえ」と答えてガイドに案内されるまま、厩舎へ向かった。友人も私も乗馬は初めてだった。
「好きな馬を選んでください」と促された。8頭の中から1頭を選ぶ。
1頭目は、我関せずで草を食んでいる。2頭目は、落ち着かず足踏み。3頭目は、目が血走っている。
「私とは合わなそうだな」と判断し、4頭目の目を見たとき、時間が止まった。栗毛色の馬が私をじっと見つめ、静かにまばたきした。吸い込まれる感覚だった。
「この馬にします」と伝え、残り4頭の馬は見なかった。馬に「こっちへどうぞ」と言われた気がした。
より仲良くなってこの馬に乗りたくて、ガイドとやってきた馬主に尋ねた。
「この馬の名前を教えてください」
すると両者がきょとんとした顔を浮かべた。そして、ガイドが口を開いた。
「モンゴルには、馬に名前をつけるという習慣がありません」
私は驚いて、質問を重ねた。
「どうやって判別するのですか?」
その質問には、馬主が身振り手振りで答えてくれた。馬の尻のあたりに、家紋の形を剃毛するのだそうだ。確かに私が乗ろうとしている栗毛の馬の尻にも、円の中にいく筋かの線が入った模様が刈り込まれていた。
私が納得したのを見てとって、「さぁ」とガイドから号令がかかった。私の[1日乗馬体験]が幕を開けた。
鞍をつけた栗毛の馬が、濡れた目で私を見つめている。ガイドの補助で私は跨った。長年のパドックの視聴が良かったのか、バランスを崩すことなく乗ることができた。草原を踏みしめる。
はじめはガイドがついて綱を引いてくれていた。しかし、1時間ほど経ったころだっただろうか。ガイドが急にこちらを向いたかと思うと、にかっと笑って、綱を私に渡した。とくに通訳があったわけではなかったが、「この後は自由にやってみなさい」ということらしかった。私もとりあえず笑顔を返しておいた。
そして「せっかく馬に乗るので、少しここから遠くへ行ってみましょう」と提案され、モンゴルの観光地・亀石を目指すことになった。遠くからでも亀の形がわかる大きな岩で、山登りの要領で頂へと上がることもできるとの話だった。とくに所要時間は説明されなかったので「近いのだろうな」と察した。
栗毛の馬は私を嫌がることなく、自由にさせてくれた。黄緑色の草原と青空を、私はほしいままにした。そのかわり、私も馬の行動を受け入れた。栗毛の馬は、自由に草を食んだし、小川のせせらぎではとくに合図もなく水を飲んだ。水を飲みすぎて、突然止まって用を足すこともしばしばだった。
手綱を任され、私も慣れてきたころには、じゃれるようになってきた。さらに嬉しそうに伸び上がり、私を振り落としてくれた。そして、砂場で楽しそうに転がり始めた。間1髪、飛び降りた私は、笑ってしまった。馬が足を折って、砂場で遊ぶ姿をはじめて目の当たりにした。
これにはガイドも首をひねり、しきりに「なんで、普通はこんなことないのに」といった素振りをしていた。結論としては「急に遊びたくなったのだろう」との見解だった。
時間を経るに従い、この馬とは相性の良さを感じていった。行ってほしいと思う方向が、少しの動作で伝わった。相対する私にも潤んだ目で馬が何を見ているのかが、体に入ってきた。
この感覚を言葉にするなら、[350度の視野]だ。真後ろだけ、神経が張り詰めている。馬の視野には、たった10度だけ見えない部分があるという。それが真後ろなのだ。人間の両眼視野は120度。大きな違いがある。そんな視野角の違いを肌で感じた。風と走り、草原を抜け、空に近づいていく。私と馬は、走る速度とともに一体になっていった。
太陽に切り取られた軽やかな影。高く鋭い蹄の音が響き渡り、陽射しにひりつく汗が流れる。栗毛の馬と駈けるのが楽しくて時間を忘れていたが、亀石に着くと日は高く上がっていた。
乗馬が目的だけれど、観光もと欲張り、亀石の頂上まで登った。馬たちが小さく見える。足を上げて土で遊んだかと思えば、辺りに生えるまばらな草を食べていた。パドックで近くから見る馬も良いが、遠目で眺める馬も格別だった。
そして、私たちはゲルへと、もと来た方向へ戻った。冷気が足元から追いかけてくる。急な気温の変化に異国の地を感じとった。
私たちを案内していたガイドは「あとは帰るだけだ」と陽気に歌を口ずさんでいた。また急にこちらを振り向く。いま思えば、少し悪い顔をしていた。友人ではなく、私だけを見ている。彼は大きな声で叫んだ。
「トゥッ、トゥッ!」
栗毛の馬が瞬く間に真剣な顔をして、駈け始めた。この日、最高の速度だった。風と馬と体を合わせ、手綱を強く握り、前を見据えた。私と馬は溶け合って、同じ草原を進んでいた。[風を切る]の意味を栗毛の馬は、私に身をもって教えてくれた。
私が速度に慣れてきたのがわかったのだろう。ガイドは並走してきて、楽しそうに笑っていた。さらに今度はリズミカルに、
「トゥ、トゥ、トゥッ!」
と馬に声かけした。すると栗毛の馬は、走り方を変えて軽やかに駈け出した。身体が上下に揺すられ、今度は夕暮れに燃える原野が目に飛び込んできた。速さで目に届く景色が異なることも、学ばせてもらった。
「トゥッ、トゥッ!」が「速く走れ!」と馬に伝える言葉だと、後で彼は話してくれた。なぜ私にだけ悪戯をしたのかだけは、まったく教えてくれなかった。
しばらく彼の歌に合わせて、伸びやかに走り続けた。風にも冷たさが混ざり、夜が迫ってくる。栗毛の名もない馬との別れが近づいていた。
太陽が夜に抵抗を試みるように、日が沈んでいく。厩舎に馬たちを帰す時間になった。栗毛の馬と視線を合わせ、モンゴル語で話しかける。
「バヤルララー(ありがとう)」
言葉と手のひらで顔をなでて、感謝を伝える。濡れた瞳に私が映っている。優しい目をしていた。
ふいの[1日乗馬体験]から、10年あまり経つ。栗毛の馬の瞳には、いま何が映っているだろう。当時は日本からモンゴルへ、毎週水曜日に空の便が出ていた。聞くところによれば国営の飛行機で、時折モンゴルの都合で飛ばないという。実は急に飛行機が飛ばないとの連絡が入り、私たちの旅行も1回延期になっていた。そんなご愛敬の空の便もコロナ禍での休止を経て、いまではほぼ毎日成田からウランバートルへの直行便が飛んでいるのだから驚きだ。
モンゴルを思えば、目に浮かぶのは草原の黄緑と真っ黒で涼しげな馬の瞳。最近は、パドックにモンゴルの馬を重ねて見ている。懐かしさがこみ上げて、「そういえば、テレルジ一帯と亀石はどれくらい離れていたのだろう」と調べてみた。グーグルは、想像以上の距離をはじき出した。馬の8時間の実力を知った。
すみ・ともみ 1988年千葉県柏市生まれ、和歌山県在住。24年、日本詩人クラブ「新しい詩の声」で最優秀賞受賞。第1詩集『透明な遠くへ』を上梓予定。